【第8回 】なぜシータで願いは叶うのか――マニフェストの本質を見直す

目次

なぜシータヒーリングでマニフェストするのか

Season2ではここまで、シータヒーリングの項目を単なる技法としてではなく、人の変化や統合を理解するための視点として見直してきました。

7つの層、3R、思考パターン、ウエイワード。
どのテーマも、それぞれを単独の知識として覚えるためではなく、人がなぜ止まるのか、なぜ変わりにくいのか、そして何が整うと自然に変化が起きるのかを見てきました。

その流れの中で、今回はマニフェストについて見ていきます。

マニフェストというと、願いを叶えること、望む未来を引き寄せること、というイメージを持つ方も多いと思います。
もちろんそれも間違いではありません。

でも私は、シータヒーリングでマニフェストをする意味は、ただ願いを現実にするためだけではないと思っています。

もっと大切なのは、創造主の場につながりながら、自分が本当に望んでいる未来を見つめ直すことです。
そして、その未来を受け取れる自分へと整っていくこと。
私はそこに、シータでマニフェストする大きな意味があると感じています。

マニフェストは“願う技術”だけではない

マニフェストは、強く願えば叶う、前向きに思えば引き寄せられる、というふうに理解されやすいことがあります。
けれど、それだけで説明しようとすると、どうしても浅くなりやすいと私は感じています。

なぜなら、人の願いは、頭の中だけで起きているものではないからです。

「こうなりたい」と思っていても、その願いの奥には不安があることもあります。
「これを手にしたい」と思っていても、同時に「本当に受け取って大丈夫だろうか」という怖さがあることもあります。
願いはある。
でも、その願いを受け取る準備がまだ整っていない。
そういうことは、人の内側ではよく起きています。

だからマニフェストは、ただ願いを言葉にする技術ではありません。
願いと自分とのあいだにあるものを整えていくことでもあるのだと思います。

創造主の場につながるから、願いが澄んでいく

シータヒーリングでマニフェストする意味を、私が大きいと感じるのはここです。

シータでは、ただ頭の中で願うのではなく、創造主の場につながりながら願いを見ることができます。
この違いはとても大きいと思います。

もし不安や不足感のまま願うと、その願いにはどうしても焦りが混ざりやすくなります。
「今のままでは足りない」
「早く変わらなければ」
「これがないと幸せになれない」
そんな緊張が入ると、願いは本来の望みというより、不安を埋めるためのものになりやすくなります。

でも、創造主の場、第7層のジャッジのない安心安全な場につながっているとき、人は少し違うところから願いを見ることができます。

本当に望んでいることは何か。
それは不足から出てきた願いなのか、それとも本質からひらいてくる願いなのか。
誰かに認められるためではなく、自分の魂が本当に求めていることは何か。

そうしたことが、静かな場の中では少しずつ見えやすくなります。

不足から願うのか、つながりから願うのか

私は、ここがマニフェストの大きな分かれ目だと思っています。

不足や焦りから願うのか。
それとも、創造主とのつながりの中から願うのか。

この違いはとても大きいです。

不足から願うと、願いは「足りない自分を埋めるもの」になりやすい。
でも、つながりの中から願うと、願いは「本来の自分がひらいていく方向」として見えやすくなる。

前者は、手に入らないとさらに苦しくなりやすい。
後者は、受け取る方向へ少しずつ整っていきやすい。

だから私は、マニフェストの本質は、強く願うことよりも、どこにつながって願うかにあるのだと思っています。

安心安全な場から願うと、未来の選び方が変わる

第3回で書いたように、私は第7層をジャッジのない安心安全な場として感じています。
そしてシータヒーリングの本質は、どの項目でもそこに通じながら見ていけることにあると思っています。

マニフェストも、私はこの場から見たいのです。

安心安全な場の中にいるとき、人は「叶えなければならない」と力む方向から少し離れやすくなります。
代わりに、
「本当は何を望んでいるのか」
「なぜそれを望むのか」
「その未来を受け取るとしたら、何がまだ怖いのか」
を、責めずに見ていけるようになります。

すると、願い方そのものが変わってきます。

誰かに認められるための願い。
不安を埋めるための願い。
今の自分を否定して、別の自分になろうとする願い。
そうしたものから少しずつ離れていきます。

そして、もっと静かで深いところから、
「私は本当はこう生きたい」
「こういう未来を受け取りたい」
という願いが見えてくるようになる。

私はそこに、シータでマニフェストする意味があると思っています。

本当に望む未来は、静かな場で見えやすくなる

本当に望む未来というのは、いつも頭の表面にあるとは限りません。
忙しさや不安や思考の多さの中では、自分でも見失ってしまうことがあります。

でも、創造主の場につながり、安心安全な静けさの中に入ると、自分でも気づいていなかった願いが見えてくることがあります。

それは、華やかな願望ではないかもしれません。
もっとシンプルで、もっと静かで、でも深いところから「これだ」と感じられるものかもしれません。

私は、そういう願いの方が、現実にも通りやすいように感じています。
なぜなら、それは頭で作った理想ではなく、その人自身の本質とつながっているからです。

願いが叶いやすくなるのは、受け取れる自分へ整っていくから

ここがとても大切なところです。

シータでマニフェストすると願いが叶いやすいのは、ただ強い意図を出すからではないと思います。
本当に大きいのは、その願いを受け取れる自分へ整っていけることです。

願いはある。
でも、受け取るのがまだ怖い。
叶った後の自分に、まだ慣れていない。
変化することを、深いところではまだ危険だと感じている。

こういう状態では、どれだけ表面で願っていても、現実は通りにくいことがあります。

でも、シータのセッションの中で創造主の場につながりながら、その願いを見ていくと、少しずつズレが整っていきます。
本当に望んでいることがはっきりしてくる。
止めていた怖さが見えてくる。
受け取ることへの緊張が少しずつやわらいでいく。

そうすると、人は変わります。
願いそのものだけではなく、願いを受け取る側の自分が整っていくのです。

願いを押し通すより、受け取れる状態へ整う

私は、ここがとても大切だと思っています。

マニフェストとは、願いを押し通すことではありません。
現実を無理やり動かすことでもありません。
そうではなく、願いが自然に通りやすい自分へと整っていくことです。

防御が少しゆるむ。
怖さが少し見える。
身体や神経が「受け取っても大丈夫かもしれない」と感じ始める。
その変化が起きるとき、願いはもっと自然に現実へと通りやすくなります。

だから私は、シータでマニフェストする意味を、ただ願いを叶えるテクニックとしてではなく、
願いと自分と現実のあいだを整えていくプロセス
として見ています。

うまくいかないときは、まだ整っていないものがあるだけ

もちろん、願ったからといって、すぐに現実が動くとは限りません。
でも、そのときに「自分には無理なのかもしれない」と考える必要はないのだと思います。

うまくいかないときは、願いが間違っているのではなく、まだ整っていないものがあるだけかもしれません。

受け取る怖さ。
変化への不安。
古い防御。
身体や神経の緊張。
あるいは、願いそのものがまだ自分の本質とずれていることもあるかもしれません。

だから、うまくいかないときに必要なのは、自分を責めることではなく、
何がまだ整っていないのだろう
とやさしく見ていくことです。

私は、それができるのがシータヒーリングのマニフェストの深さだと思っています。

ただ願うのではなく、創造主の場につながりながら、本当に望む未来を見つめ直す。
ただ引き寄せようとするのではなく、受け取れる自分へ整っていく。
そのプロセスがあるからこそ、願いは叶いやすくなるのだと思います。

次回は、その
「叶える」より先に起きている、無意識の調整
について、もう少し丁寧に見ていきます。
願いが現実になる前に、人の内側では何が起きているのか。
そこを、やわらかく整理していこうと思います。

シータヒーリングのマニフェストは、ただ願いを現実化するための技術ではなく、創造主の場につながりながら本当に望む未来を見つめ、受け取れる自分へ整っていくプロセスでもあります。
UPA-LAでは、意識だけでなく身体や感覚も含めて、その人全体が安心の中で未来へひらいていくことを大切にしています。

▶︎ シータヒーリング案内ページ

▶︎ Season2一覧ページ

eason2第8回では、なぜシータヒーリングで願いが叶いやすくなるのかを、マニフェストの本質から見つめました。大切なのは、ただ強く願うことではなく、創造主の場につながりながら本当に望む未来を見つめ、受け取れる自分へ整っていくことです。そこに、シータでマニフェストする深い意味があると感じています。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

頭痛専門 ふうが整体院 頭痛セラピスト
Holistic life Labo UPA-LA セラピスト ヒーラー

目次