ウエイワードとは何か
Season2ではここまで、シータヒーリングの項目を、単なる技法ではなく、人という存在を理解するための視点として見直してきました。
第1回では、項目は人を見る角度であること。
第2回では、4つのレベルと7つの層は違う地図であること。
第3回では、7つの層は優劣ではなく場の質の違いであり、第7層はジャッジのない安心安全な場であること。
第4回では、3Rが心だけでなく身体や神経にも深く残ること。
第5回では、思考パターンがなぜ繰り返されるのか、その背景に潜在意識のメリットがあることを見てきました。
そして今回は、ウエイワードについて見ていきます。
このテーマは、扱い方がとても大事だと感じています。
なぜなら、ウエイワードは思考パターンのように日常的な認知の癖として説明されるものではなく、シータヒーリングの中では、もっと別のカテゴリーとして扱われているからです。
シータヒーリングの基本の中では、ウエイワードは
創造主につながる窓を通り損ねてしまったスピリット
として説明されます。
そして、そのような存在は、第4層の間で機能しているとされています。
この定義は、日常的な心理の説明とは少し違います。
だからこそ、曖昧にしたり、何となく比喩的にぼかしてしまうよりも、まずはシータヒーリングの中でどう語られているのかを、そのまま押さえることが大切なのだと思います。
思考パターンとは同じではない
前回の思考パターンの話と、今回のウエイワードの話は、近いものとしてまとめてしまわない方が自然です。
思考パターンは、本人の内側で繰り返される見方や言葉、認識の癖として見えてくるものでした。
そこには潜在意識のメリットがあり、守るために続いてきた反応として理解することができました。
けれどウエイワードは、シータヒーリングの中では、そうした「考え方の癖」とは別のものとして扱われています。
だから、思考パターンの延長として見るのではなく、
別の視点として丁寧に理解すること
が必要になります。
ここを混ぜてしまうと、シータヒーリング本来の考え方もぼやけやすくなりますし、逆に何でもかんでもウエイワードに結びつけるような極端さにも傾きやすくなります。
私は、そのどちらにも寄りたくありません。
大切なのは、
シータヒーリングの中では、ウエイワードはそういうものとして位置づけられている
という基本を押さえた上で、恐れではなく、創造主の光の文脈で理解していくことだと思っています。
なぜ恐れで扱わないことが大切なのか
ウエイワードというテーマになると、どうしても怖さが出やすくなります。
霊的な存在として説明されるからこそ、必要以上に重く受け取ったり、日常の問題をすぐそこに結びつけたくなったりすることもあるかもしれません。
でも、私はここで一番大切なのは、
恐れを強めないこと
だと思っています。
見せていただいた基本テキストの中でも、ウエイワードに近づこうとするなら、プラクティショナーはその人のオーラにそのようなスピリットがいないかをよく調べること、そして何より、創造主の光につなげて帰すことが示されています。
そこでは、戦うことよりも、
創造主のエネルギーの中へ送ること
が中心になっています。
また、恐れによって近づくこと、不要に交流を持つこと、巻き込まれることへの注意も書かれています。
つまり本質は、「怖いものに対抗する」ことではなく、
創造主とのつながりを保ちながら扱うこと
にあるのだと思います。
怖がると巻き込まれやすくなる
恐れは、それ自体が人の感覚を狭くしてしまいます。
視野が狭くなり、必要以上に相手を大きく見てしまう。
落ち着いて見ればそうではないものまで、強く意味づけてしまうこともあります。
だからこそ、ウエイワードを理解するうえでは、恐れを煽ることは本質ではありません。
むしろ必要なのは、
自分がどこにつながっているか
です。
創造主の光につながっているのか。
第7層のジャッジのない場に通じているのか。
安心安全な場の中に立っているのか。
私は、そこがすべての土台だと感じています。
創造主の光の中で見る、ということ
シータヒーリングの基本では、ウエイワードを扱うときに、創造主のエネルギーの中に送ることが大切にされています。
これはとても象徴的です。
もし本質が「戦うこと」なら、そこに必要なのは対抗する力です。
でもシータヒーリングで行っているのは、そうではありません。
創造主につながり、その光の中で、本来の場所へ帰していくことです。
ここに、シータヒーリングらしさがはっきり表れていると思います。
ただ存在を排除するのではなく、創造主のもとへ返す。
ジャッジや怒りではなく、創造主とのつながりの中で完了していく。
私はそこに、この手法の深さを感じます。
戦うのではなく、創造主のもとへ帰す
この視点は、とても大切です。
なぜなら、戦う姿勢の中には、どうしても恐れや対立が入りやすいからです。
でも創造主のもとへ帰す、という視点の中には、もっと大きな秩序があります。
そこでは、プラクティショナー自身が「何とかしなければ」と抱え込む必要はありません。
自分の力で制圧するのでもない。
創造主につながり、その光の中でなされることを信頼していく。
これは、単に手順の問題ではなく、在り方の問題でもあると思います。
だから私は、ウエイワードのテーマにおいても、技法以上に
どこにつながっているか
が大事なのだと感じています。
第7層に通じていることがシータヒーリングの本質
ここで、これまでSeason2で見てきたことが、また大切になってきます。
第3回で書いたように、私は第7層を
ジャッジのない、安心安全な場
として捉えています。
そしてシータヒーリングの醍醐味は、必ず第7層に通じながら各層を見ていけることにあると思っています。
ウエイワードを扱うときも、ここは同じです。
もし第7層とのつながりがなく、ただ恐れや興味だけでこのテーマに触れるなら、本質から離れやすくなります。
逆に、ジャッジのない創造主の場につながったままで見るなら、必要以上に巻き込まれず、余計な戦いも起こりにくい。
私は、ここにとても大きな意味があると思っています。
ウエイワードを理解することの本質は、怖いものを知ることではありません。
どのようなテーマであっても、
第7層に通じながら見ること
がシータヒーリングの本質なのだと、あらためて感じます。
ジャッジのない場だからこそ扱える
ジャッジが強い場では、私たちはすぐに「悪いもの」「危ないもの」「排除しなければならないもの」と決めつけたくなります。
でも、シータヒーリングの本質が第7層の安心安全な場にあるのだとしたら、そこではまず、創造主とのつながりが優先されます。
恐れや評価よりも先に、光につながること。
そこから見ていくこと。
この順番があるからこそ、ウエイワードというテーマも、必要以上に重くならず、雑にもならず、丁寧に扱うことができるのだと思います。
ウエイワードを理解することの意味
では、なぜこのテーマを知る必要があるのでしょうか。
私は、ウエイワードを理解する意味は、恐れを増やすことではなく、
シータヒーリングが何を大切にしているかを、より深く知ること
にあると思っています。
つまり、
- 変化を妨げるものを、何でも思考や感情だけで説明しているわけではないこと
- 霊的なテーマであっても、創造主の光の中で扱うこと
- どんな項目でも、第7層に通じながら見ることが本質であること
こうしたことが、ウエイワードというテーマを通して、逆にはっきり見えてきます。
私はそこに、この回を書く意味があると感じています。
ウエイワードは、思考パターンとは別です。
だからこそ、混ぜずに理解する。
でも恐れで扱わない。
創造主の光、第7層、安心安全な場とのつながりの中で理解していく。
その視点があるとき、シータヒーリングの学びは、単なる知識ではなく、もっと深い在り方へとつながっていくのだと思います。
次回は、このウエイワードというテーマを、さらに一歩進めて見ていきます。
ただ怖れたり悪者にしたりするのではなく、なぜそれを必要以上に恐れすぎなくてよいのか、そして創造主の光に返すということがどういう意味を持つのかを、もう少し丁寧に見つめていこうと思います。
シータヒーリングの学びは、ただ項目を知ることではなく、どのような場につながりながら理解していくかがとても大切です。
UPA-LAでは、創造主・安心安全な場・身体や感覚を切り分けすぎず、その人全体を統合的に見ていくことを大切にしています。
