存在の7つの層は「偉さの順番」ではない
Season2の第2回では、7つの層と4つのレベルは同じものではない、ということを書きました。
4つのレベルは、何がその人に影響しているのかを見る地図。
そして7つの層は、人がどんな場の中で生きているのか、どんな意識の広がりの中で世界と関わっているのかを見る地図です。
そのうえで、今回もう少し丁寧に見ていきたいのは、7つの層をどう理解するか、ということです。
シータヒーリングを学んでいくと、「上昇する」という表現に触れることがあります。
すると無意識のうちに、上に行くほど高く、上に行くほど優れていて、下はまだそこに至っていない場所、というふうに受け取りやすくなります。
けれど私は、7つの層をそのような“階段”として理解していません。
7つの層を理解するとき、私は「上が偉い・下が低い」とは捉えていません。
どの層が優れていて、どの層が劣っているという話ではない。
どこにいる自分が正しくて、どこにいる自分が未熟だという話でもない。
7つの層は、評価や序列のためにあるのではなく、人がどんな質の場とつながっているのかを見るための視点なのだと思います。
ここを見失うと、7つの層は“上を目指すための概念”になってしまいます。
でも本来のシータヒーリングは、何か高い場所へ到達して自分を特別にすることよりも、もっと深いところで、人が本来の流れに戻っていくことに関わっているはずです。
7つの層には質の違いがある
ただ、7つの層に違いがないわけではありません。
私はそこに、確かに質の違いはあるように感じています。
粒子が細かくなるようなイメージ
それをあえて感覚的に表現するなら、上の層にいくほど粒子が細かくなっていくようなイメージです。
物質的で重さのある世界から、より微細で、より境目の少ない世界へと意識が移っていく。
形があり、境界があり、分かれたものとして感じやすい世界から、少しずつ、分離が薄れ、やわらかくつながっているような場へと移っていく。
私は7つの層を、そのような違いとして感じています。
でも、それは優劣ではありません。
大切なのは、上の層が偉いということではなく、つながる場の性質が変わっていくということです。
優劣ではなく、場の性質の違い
下の層は、より形があり、現象として感じやすい世界に近い。
境界があり、重さがあり、分かれたものとして捉えやすい質を持っています。
中間の層には、意味や法則、祈り、象徴性のようなものが現れやすい。
目には見えなくても、人がつながりや秩序を感じやすい場でもあります。
そして上の層にいくほど、より微細で、より境目が少なくなっていく。
評価や分離よりも、ただ在ることそのものに近づいていく。
もちろんこれは、教科書的な定義ではなく、私自身の感覚を通した理解です。
でも少なくとも、7つの層を本当に生きたものとして捉えるなら、こうした場の質の違いとして感じた方が、本質に近づきやすいように思います。
第7層をどう理解するか
私にとって特に大切なのは、第7層をどう理解するかです。
第7層を、ただ一番高い場所、最上位の層、到達すべきゴールのように考えてしまうと、本来の意味が狭くなってしまいます。
私が第7層に感じているのは、もっと別の質です。
それは、ジャッジのない、安心安全な場です。
そこでは、良い悪い、できているできていない、正しい間違っている、といった評価が薄れます。
何かにならなければ受け取れないのではなく、ただ在ることそのものが許されているような感覚がある。
頑張って整えたからつながれるのではなく、本来つながることができる場として、そこがある。
私は第7層を、そうした質として感じています。
ジャッジのない場だから安心が生まれる
安心安全な場というのは、ただ優しい気分になることではありません。
評価されないこと。
否定されないこと。
急がされないこと。
何かにならなくても、そのままで存在できること。
そうした感覚があるとき、人の防御は少しずつゆるみます。
ずっと緊張していたものが、ようやく休める。
頑張って変わろうとしていた力が抜けて、自然な回復や変化が起き始める。
私は、ここに第7層の大きな意味があると思っています。
シータヒーリングの醍醐味は、第7層に通じながら各層を見ていけること
ここで私が、シータヒーリングのとても深いところだと感じていることがあります。
それは、7つの層をバラバラに扱うのではなく、必ず第7層に通じながら、各層を見ていけることです。
私はここに、シータヒーリングの醍醐味があり、本質があると感じています。
もし各層をただ個別の領域として見ていくだけなら、それは分析や分類に近くなってしまいます。
この問題はこの層、この反応はこの層、と切り分けるだけでは、人の変化はどこか知識の中にとどまりやすい。
でもシータヒーリングでは、創造主の場、つまりジャッジのない安心安全な場に触れながら、それぞれの層を見ていくことができます。
だからこそ、下の層を見ても重くなりすぎない。
中間の層を見ても迷いに飲まれにくい。
そして上の層を見ても、特別なものとして切り離されない。
どの層を見ていても、その奥には第7層の安心が流れている。
そのつながりを失わずに各層を見ていけることが、私はシータヒーリングならではの深さだと思っています。
創造主につながるというのは、ただ上へ飛ぶことではありません。
安心安全な場につながりながら、今ここにある自分を見ていけること。
その場から、身体も感情も反応も切り離さずに見ていけること。
だからシータヒーリングは、単なる意識の技法ではなく、統合へ向かう力を持っているのだと思います。
創造主につながることは、安心安全な場につながること
シータヒーリングでは「創造主につながる」という表現が出てきます。
ここも、多くの人が“上へ行くこと”として受け取りやすいところかもしれません。
けれど私は、それを単なる上昇のイメージだけでは捉えたくありません。
創造主につながるとは、遠くへ飛ぶことではなく、
ジャッジのない、安心安全な場に触れることでもあるのだと思っています。
その場につながるからこそ、変化は無理なく起きる。
その場につながるからこそ、「変わらなければ」という緊張がゆるみ、本来の流れが戻ってくる。
その場につながるからこそ、意識だけの変化ではなく、もっと深いところでの変化が始まる。
身体や神経にも安心は現れる
ここで大切なのは、安心は意識の中だけで起きるのではない、ということです。
本当に安心しているとき、身体は少しゆるみます。
呼吸が変わる。
目線がやわらぐ。
胸やお腹の緊張が少しほどける。
神経の過敏さが、ほんの少し静まる。
逆に、頭では「大丈夫」と思っていても、身体が固まり続けていることがあります。
意識では手放したつもりでも、神経はまだ警戒を続けていることがあります。
だからこそ、安心安全な場というのは、概念ではなく、実際に感じられるものであることが大切です。
この視点は、Season3で見ていく
なぜ身体に触れる必要があるのか
というテーマにも、自然につながっていきます。
変化は「上がること」ではなく「戻ること・根づくこと」でもある
ここまで来ると、変化そのものの見え方も少し変わってきます。
私たちはつい、変化を“上がること”として考えがちです。
より高い視点へ行く。
より深い理解に届く。
より広い意識を持つ。
それは確かに一つの側面です。
でも、本当の変化はそれだけではありません。
変化は、戻ることでもあり、根づくことでもあると思います。
何か特別な自分になることではなく、本来の自分に戻っていくこと。
上へ飛んで今の自分を置いてくることではなく、今ここにある身体や感覚や反応もふくめて、自分の中に戻ってくること。
そして、その変化が日常の中で少しずつ生きられるようになっていくこと。
それが、根づくということなのだと思います。
第7層の安心安全な場に通じながら各層を見ていく。
その中で起きる変化だからこそ、人は無理に自分を変えようとしなくても、少しずつ本来の流れに戻っていける。
私はそこに、シータヒーリングの本当の豊かさがあると感じています。
だから7つの層は、上がるための階段ではありません。
どのような場につながると、人は本来の流れに戻りやすくなるのか。
その場の質を感じるための視点です。
そして第7層は、その中でも特に、ジャッジのない安心安全な場として、とても大きな意味を持っている。
私はそう感じています。
次回は、3Rについて見ていきます。
ただの手順としてではなく、人の内側で何が整理され、何がほどけていくのかという視点から、やわらかく入っていこうと思います。
Season2第3回では、
シータヒーリングの7つの層を「上がるための階段」としてではなく、
場の質の違いとして見つめ直しました。
第7層はジャッジのない安心安全な場であり、
創造主につながりながら各層を見ていけることこそが、
シータヒーリングの醍醐味であり本質だと感じています。
「学んでいるのに、どこか腑に落ちない」
「上の理解はあるのに、日常では変わりきれない」
そんな感覚がある方は、UPA-LAのセッションや講座案内もご覧ください。理解だけでは届かない変化が、安心安全な場の中で少しずつ根づいていくかもしれません。
▶︎ Season2第2回
7つの層とは何か――4つのレベルとは違う、もうひとつの見方
Season2第3回では、シータヒーリングの7つの層を「上がるための階段」としてではなく、場の質の違いとして見つめ直しました。第7層はジャッジのない安心安全な場であり、創造主につながりながら各層を見ていけることこそが、シータヒーリングの醍醐味であり本質だと感じています。
